ケルト起源のその名が示すように、シャイイは古くからケルト人が住んでいた土地でした。 12世紀、現在シャトーのある場所に築かれた「要塞」は、 15世紀の初頭、ロジュ領主ジャンの手で4つの塔と跳ね橋を備える本格的な要塞に改築されました。 今日のシャトーの姿は、彼の孫ユーグの代に美しいルネッサンス様式の住居に改造されたときからほとんど変っていません。 その後、シャトーはルネ家、ブリュネ家、ティエ家とさまざまな一族の手に渡りました。
1789年のフランス革命の間、シャトーは「荘園の農夫」であったオーギュスタン・ゴダールやシャイイ村長、アルネ=ル=デュックの警察署長などの熱烈な愛国者たちによって手厚く保護されました。 1796年オーギュスタン・ゴダールの手に渡ったシャトーは、1888年シャロン一族に買い戻されました。
現在のオーナーである佐多保彦は、1987年以来、志を同じくする100名にも及ぶ僚友、相棒となっていく人々の熱心な協力を得てシャトーの改修を進めてまいりました。 現在では「歴史的建造物」の指定を受け、ブルゴーニュ地方でもっとも豪華なホテルの1つに数えられています。
| シャルル7世 (1401-1461) ブルゴーニュ公に、公爵領のフランス王家への返還を交渉した人物。 | ギヨーム・ドゥ・ロジュ1400頃生存 アニェス・ドゥ・ラ・ブレイと結婚し、妻の持参金として 12世紀からシャイイに存在していた「要塞の家」を受け取る。 | |
| ジャン・ドゥ・ロジュ1417~1455 1450年頃ルイーズ・ドゥ・ラビュタンと結婚し、「要塞の家」を本格的な要塞に改築する | ||
| ルイ11世 (1421-1483) 1461年即位 シャルル8世 (1470-1498)1483年即位 | シモン・ドゥ・ロジュ1世 ラ・ブレイとシャイイの領主 シャルル勇胆公とルイ11世の侍従。 1489年までシャトーを所有する | |
| ルイ12世 (1462-1515) フランソワ1世 (1494-1547) 1515年即位 | ユーグ・ドゥ・ロジュ2世 1470年頃~1531年没 バイイ・ドータン 妻: 1) クロード・ラビュタン - 2) シャルロット・デュ・メスニル=シモン 2番目の妻の協力で新しいシャトーの建築に着手する。 1489年~1531年、シャトーを所有。 | |
| アンリ2世 (1519-1559) カトリーヌ・ドゥ・メディシスの摂政を務める | ルイ・ドゥ・ロジュ2世 ラ・ブレイとシャイイの領主 妻: 1) ガブリエル・ドゥ・ビュルジュ 1544 - 2) カトリーヌ・ダルム シャトーを完成させた人物。この後、シャトーに大きな改修工事は行われていない 1531~1565年、シャトーを所有 | |
| シャルル9世 (1550-1574) 1561年即位 アンリ3世 (1551-1589) 1574年即位 | シモン・ドゥ・ロジュ2世 直系の子孫なく死亡したバイイ・ドータンの弟 姪のアントワネット・ドゥ・シャステリュックスがシャトーを相続する 1565~1595年シャトーを所有 | |
| アンリ4世 (1553-1610)1589年即位 | エドム・ドゥ・ロシフォール=プルヴォー バイイ・ドータン 1594年 シモン・ドゥ・ロジュ2世の兄弟の孫娘が妻のジャクリーヌ=フィリップ・ドゥ・ポンタイエだったため、 1598年、シャイイの領地が彼の手に渡る 1598年~死亡するまで(没時不詳)シャトーを所有 | |
| ルイ13世 (1601-1643) 1610年に即位 母のマリー・ドゥ・メディシス が摂政を務めた | ロジェ・ドゥ・ロシフォール=プルヴォー (長男) バイリー・ドータン 1634~1644年、子孫なく死亡 1644年までシャトーを所有 | |
| ルイ14世 (1638-1715) 1643年即位 母のアンヌ・ドートリッシュ が摂政を務める | フランソワ・ドゥ・ロシフォール=プルヴォー (エドムの次男) ラ・ブレイ伯爵であり、シャイイの領主 1644年にシャトーを売却 1644 ~1664年までシャトーを所有 | |
| ルイ14世 (1638-1715) | ピエール・ルネ ディジョン生 1600年~パリ没 1671年 - 1637年、ディジョン議会の顧問に就任 彼の死後、未亡人が1672年シャイイの領地を売却 1664~1672年シャトーを所有 | |
| フィリベール・ブリュネ ボーヌ生 1597年~ボーヌ没 1673年 - シャイイ領主 - 1672~1673年所有 | ||
| ジャン=バティスト・ブリュネ ボーヌ生 1623年~パリ没 1703年 - 徴税請負人 - 国庫出納係 男爵領への封土制を確立- 1673~1703年シャトーを所有 | ||
| ルイ15世 (1710-1774) 1715年即位 フィリップ2世(オルレアン公)が摂政を務める | ピエール・ブリュネ パリ生 1661年~パリ没 1744年 - シャトレとパリ議会の顧問 子孫なく死亡したため、遺産は甥が相続 1703~1740年シャトーを所有 | |
| ジャン=バティスト・デュ・ティエ ボーヌ生 1687年~パリ没 1744年 - パリ議会の顧問 1740~1744年シャトーを所有 | ||
| ルイ16世 (1754-1793) 1774年即位 革命政府 | シャルル=ジャン=バティスト=デュ・ティエ ボーヌ生 1710年~パリ没 1796年 - パリ議会の顧問 1744年~1796シャトーを所有 | |
| 総裁政府 帝政時代の幕開け | アンリエット=ルイーズとシャルロット=アンリエット・デュ・ティエ 領地を相続 - 1803年に売却 - 1796~1803年シャトーを所有 | |
| 第一帝政 ルイ18世 (1755-1824) 1814年即位 | オーギュスタン・ゴダール 1762生 - シャイイ没 1821年 - 元農夫 - 1803~1821年シャトーを所有 | |
| シャルル10世 (1757-1830) 1824年即位 | オーギュスト=オーギュスタン・ゴダール シャイイ生 1795年~シャイイ没 1825年 - 1821~1825年、姉妹と共同でシャトーを所有 | |
| ルイ=フィリップ 1830~1848年在位 第二帝政 | オーギュスタン・ジョゼフ=マリー・ゴダール 1859年まで叔母たちと共同で、その後1859~1861年単独でシャトーを所有 | |
| オーギュスト=エドモン・ゴダール シャイイ生 1859年~ヴァンドネス没 1888年 1861~1888年シャトーを所有 - 子孫なく死亡したため、後継者たちがシャトーを売却 | ||
| 第三共和制 | アントワーヌ・シャロン1889~1909年シャトーを所有 | |
| 第四共和制 第五共和制 | レオン・シャロン クレアンセ生 1878年~シャイイ没 1967年 -1909~1967年シャトーを所有 | |
| ジャン・シャロン 1987年までシャトーを所有 | ||
| 佐多保彦 1987年よりシャトーのオーナー- 廃墟と化していたシャトーを改修し現在の使用目的で 復興。1994年、仏芸術文化勲章の授与を受ける。 |